いつの日か、
私は生徒のアンドリューいう立場から
フレッチャーと言う支配者側に
立つようになっていました。
こんなことは嫌だったのに...
一流を発掘し、育てるために
キネシオロジー教育をしているかも?
これはフレッチャーが
ジャズを、こよなく愛するように
私もキネシオロジーを
こよなく愛しているからの行動です。
スパルタの教育は天才を産み出すが、
同時に生徒も潰しまくる。
諸刃の剣(教育)でもある。
ただし天才の育成には
最高の教育かもしれない。
私の代替医療の学びについてであるが
このように教えられたことがある。
最初は教育向けの先生から、
知識と技術をしっかり学ぶ。
その後に臨床を行っている
尖った先生から学ぶことが
生徒の学びのスピードを向上させると
学んできた。
確かに自分はそのように学んできた。
良い先生の定義とは
一体なんであろうか?
一般的に知識を教えてくれる先生
であろうか?
経験を実践から伝えてくれる先生
であろうか?
私はキネシオロジーの世界で、
日本で最も厳しいと言われる講師と
口をそろえて何名からも言われてきた
それは臨床経験を積んできた
キネシオロジーの実践派であるから。
ただし、
それを理解してくれる生徒は
数少なかったように感じる。
しかしながら
私の元で学び、開業し、
キネシオロジーを生業として
社会に貢献している生徒の数は
日本で一番達成していると思う。
私には味方も多いが、
もちろん敵も多い。
しかし敵と言う方々は
私がなぜこのような行動をするのか?
考えたりもしていない人が多いらしい
大阪でエージェントが
東京でエージェントが
私の悪い噂を聞いたらしい。
ただその噂を聞くと
内容を深く知っているわけではなく
「『齋藤慶太は悪い噂が多い』と聞く」
という事だけらしい。
だから本質を見極めていない方々が
内容の無い噂を信じているだけだ。
大阪では、
その噂が真実なのか?どうか?
確認のためにも講座に
参加してくださった方々がいた。
真実を知るために参加してくださった。
私としては、
感謝と言う言葉しか見つかりません。
ありがとうございました。
フレッチャータイプの講師は私だ。
私の教育で泣かされた生徒の数は
本当にたくさんいると思う。
しかし育った生徒もたくさんいる。
ということは、
私の教育は正しかったはずだ。
「私が怒るという生徒が居る」
「私が叱るという生徒が居る」
どっちが正しいのであろうか?
それは捉える人それぞれである。
どっちとして捉えられても良い。
怒るも、叱るも
共にエネルギーを非常に使い、
その後の消耗度が激しいことを
理解しているだろうか?
私がもし、
フレッチャーのように
演技で、これまでの教育を
していたとなるとどう思うのか?
私の目的に大きくあるものが、
本物のキネシオロジストを
発掘する、産み出すために
技術、スピリットを
受け継いでもらうために
お互いに
素晴らしい人生のために
幸せな人生のために、
キネシオロジー教育を
行っているんだ。
芸事に関わっている人には
必ず何かを感じる映画です。
映画中の出来事で、
訴えられそうになる場面は多数。
ただし真剣だからこそ
起きてしまう教育の一環です。
こんなところで生徒側が
訴えてしまっても
超一流は生まれない。
本氣のフレッチャーだからこそ
起きてしまった、教育なのです。
その本氣が
伝わっていった映画であり
これがフレッチャーが正しいと思う
ジャズの教育だと思うのです。
だからこそ
その試練を乗り越えたものが残る。
ピーピー泣いているなんて、
どうにもならないし、
出来たとしても三流で終わるはずだ。
それは演奏に
魂や情熱が含まれていない
表面上の完璧な音楽だからだと思う。
超一流の音楽家の演奏には
目には見えない、
音符には書かれていない
何が含まれている。
そこに人が感動したり、共感したり
するのだと思う。
チャゼル監督は
フレッチャー役のシモンズに
「人間が可能なことを超えてくれ」と
言っただけらしい。
「解き放たれた野獣を見たかった」と
それだけ伝えたら
彼はうなずいて
全部理解してくれたよ。
エンディングついて
少し後味が悪くなっても観客に
何か考えてもらうことが重要だった
最後に誰かが
悪魔に魂を売り渡す
でも、そこからは
素晴らしい音楽が生まれる
優しいだけが愛であると
世の中に思いこんでいる人が
多すぎると思う。
このシーンも愛溢れるシーンである
言葉が無く、
音と言う音楽と
目には見えないパッションが織りなす
素晴らしい映画なんです。
以下はこの映画の感想ですが、
私が感じた内容のモノを
リンクしています。
映画『セッション』
チャゼル監督インタビュー
「自分の体験から音楽をやることに
恐怖を感じるようになったんだ」
http://getnews.jp/archives/910794
なぜ「セッション」の
ラスト9分19秒は素晴らしいのか?
~血とビートの殴り合い、
恫喝の向こうの涙~
http://blog.goo.ne.jp/yukks453145/e/8563348d2301f2caad601c8d2ee4c5aa
直感が自らを覚醒させる
~映画「セッション」から
学べる3つのこと~
http://kanousei88.com/intuition-and-awakening/
『 セッション』
君臨する密室の王
https://cakes.mu/posts/9226
ドラムレッスンの狂気の世界!
『セッション』の製作秘話
【ネタバレあり】
http://ciatr.jp/topics/21629
映画「 セッション 」は、
きっとこの先も語り継がれる
であろう作品の1つ。
http://tanpan.jp/blog/archives/5023
激動のクライマックスの
僕の解釈/『セッション』★★★
http://taiyaki.hatenadiary.com/entry/2015/04/25/000523
私が望んでいる
日本の2大キネシオロジー
インストラクターの完成度とは?
★タッチフォーヘルスキネシオロジー
目をつむっていても基礎の14筋肉
反射テストの完成度を持つこと
★教育キネシオロジー
ブレインジムインストラクター
目をつむっていても
きっちりと26種類のエクササイズが
出来るくらいの完成度を持つこと
このようなキネシオロジスト
セラピストになって頂きたいです
完成度の高さが
日本キネシオロジーの普及になるから
これがもし出来なければ、
1からはじめるキネシオロジー基礎講座
から、もう一度始めて頂きたい。
基礎から学ばないと
一流には程遠いからだ。
ただ資格だけを持っていたとしても
完成度が低い状態で、
講座を開催しても
セラピーを行っても
困るのは参加者であり
困るのはクライアントさんです。
資格を与える人間は
責任というものをもっと考えて頂きたい
プロを目指すキネシオロジストなら
練習やレベルを向上させなかった
学んだ本人の責任でもあるから。
映画を見て
私が感じた
様々な
感想や憶測を少しだけ綴ります。
フレッチャーは独身なのか?
それとも離婚されているのか?
なぜこんなにも鬼になれるのか?
トラウマがかなりあるのではないか?
ただしピアノは繊細だったので、
トラウマがそれほどあるとは言えない。
となると天才を育てる
教育上の問題がありながら、
あれほどの演技(人物像)が
出来るのではないか?
となると
天才中の天才は
フレッチャーとなる。
これを私のキネシオロジー経験に
あてはめるなら...
タッチフォーヘルスの
石丸国際ファカルティ
と言う反面教師は私の為に、
偽りで?
本氣で私に接したのか?
過去にあれほどの
理不尽というものを時間を裂き
私の成長のためにしてくれて
いたとなると、
これは、とてつもなく大きな愛だ。
きっと神様の指令の元に
私の成長のために
目の前に現れてくれたのであろう。
ともに教育キネシオロジーの
田村国際ファカルティも同様だ、
今回私のブレインジムの資格を
一度喪失したことについて
明確な回答が無いからだ。
両方ともに業界人からは
おかしなことをしていると
誰もが口をそろえる。
これらの理不尽と言うモノも
神様が用意してくださった
チャレンジなのであろう。
理不尽な教師は
頭がハゲなのであろうか?
フレッチャー、
タッチフォーヘルスの
石丸ファカルティと共に
髪が何もない。
という事は
ブレインジムの
田村ファカルティも
ハゲるのであろうか?(笑い)
これから確認していこうと思う。
沢山いろいろ書きました。
皆さんも是非とも観に行って下さい。
きっと魂が揺さぶられると思います。
また、書きたくなった時に
この映画について書いていこうと思います。
この記事の前編:
理不尽とは自分が受けてきた試練だった
【Whiplash セッション・アンドリュー編】
↧
俺はスパルタと愛のあるフレッチャータイプのキネシオロジー講師だ。【Whiplash セッション】
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